小田原城北ロータリークラブ会報 第2060号(2025年7月29日発行)

【R.I. 会長】フランチェスコ・アレッツォ
【R.I. 2780地区ガバナー】松下 孝
【第9グループガバナー補佐】髙杉 尚男
【R.I. 2780地区ガバナー】松下 孝
【第9グループガバナー補佐】髙杉 尚男

【会 長】須藤 公司
【副会長】柳井 渉
【幹 事】澤田 大佑
【副幹事】加藤 長治
【会場監督】木村 賴弘
【副会長】柳井 渉
【幹 事】澤田 大佑
【副幹事】加藤 長治
【会場監督】木村 賴弘
本日の例会:通常例会(第2287回)
会場:イタリアン・グリルレストラン「LEGALO」
日時:2025年7月29日
司会:加藤 長治
日時:2025年7月29日
司会:加藤 長治
12:30~ |
開会点鐘:須藤会長 ロータリーソング「それでこそロータリー」 スピーカー及びビジター紹介 慶事祝福 会長挨拶 幹事・委員会報告 出席報告・ニコニコ箱報告 閉会点鐘:須藤会長 |
13:00~ | 本日の卓話 |
13:30 | 閉会点鐘:須藤会長 |
【今後の例会・卓話スケジュール】
8月5日 | 通常例会 |
8月12日 | 休会 |
8月19日 | 通常例会 |
第2286回 通常例会(2025年7月15日分)
年月日 | 会員数 | 出席 | M.U | 出席率 |
---|---|---|---|---|
7月15日 | 38(31) | 27 | 0 | 77.14% |
7月8日 | 37(30) | 26 | 1 | 78.79% |
7月1日 | 37(31) | 31 | 1 | 100% |
【欠席者】杉崎 勝成・上田 博和・長田 英一・石﨑 健太郎
川﨑 道生・稲葉 永治・永松 範之・濱野和 裕也
【今回メーキャップ】
【前回メーキャップ】荻野 善明 北海道2500ロータリーEクラブ
【前々回メーキャップ】永松 範之 北海道2500ロータリーEクラブ
ニコニコ箱
年月日 | ニコニコ箱 | 累計 | 目標 |
---|---|---|---|
7月15日 | 4,000 |
52,000 | 800,000 |
本日のお客様
本日はいらっしゃいません。
幹事報告 澤田幹事より
①ハイライトよねやまが届いております。後方のホワイトボードに掲示してありますのでご覧下さい。
②地区大会のご案内とパンフレットをポストインさせていただきました。9/7(日)伊勢原市民文化会館11時半受付です。今回は電車で行く予定です。出席者の方には改めて時間をご案内します。
③次週7/22は休会となります。7/29の例会はレガロて行います。通常と同じく12時半開始となりますのでお間違えのないように。お車でお越しの方は近隣の駐車場をお使いください。
④本日例会終了後50周年実行委員会がございます。委員の方はご出席をお願いします。
ニコニコ箱発表 太田会員
〇須藤 公司さん・・・本日入会の望月さん、おめでとうございます。これからよろしくお願いします。又、本日卓話の三鍋先生、本日宜しくお願い致します。
〇清 康夫さん・・・先週、日本の女子プロ西郷真央がメジャーシェブロンチャンピオンシップにて5人でのプレーオフにてパー5のホール、3オン1パットのバーディーで優勝、とても感動しましたので。
〇櫻井 康二さん・・・望月さんようこそ城北RCへ、これから宜しくお願い致します。
〇神保 幸雄さん・・・昨日のラグビー事業の打ち上げに参加された会員の皆様、また小田原ラグビーフットボール協会の皆様お疲れ様でした。
改ページ
会長挨拶 須藤会長
皆様こんにちは、昨日はラグビー協会様との、小田原城北ロータリーカップの反省会に参加されたメンバーの皆様お疲れ様でした。来年の大会に向けて大変良い反省会になったと思います。有難うございました。
本日は、日本人初のロータリアン福島喜三次さんのご紹介をしようと思います。よろしくお願いします。
日本人の第1号ロータリアンは福島喜三次(1881-1946)ふくしまきさじさんです。彼は、ロータリークラブを米山梅吉に紹介し、ロータリークラブを創設した人として歴史に名を残しています。喜三次は明治 14 年 10 月 10 日、喜平の 6 男として生まれました。母は伊万里の酒造家、吉永鉄蔵(よしながてつぞう)の長女タツで、父の喜平は喜三次が 2 歳の時に亡くなったといいますから、 6 人の子供を育てたお母さんの教育ぶりは大変評判になっていたといわれています。東京高商学校の卒業は明治37年・外交官で外務大臣にもなった佐藤尚武、三井物産の大御所となった向井忠晴は常に席順を争った同級のライバルで あったということであります。一橋大学を卒業すると直ぐ向井と共に三井物産に入社、翌年はニューヨーク勤務、それからオクラハマ、ヒューストンを経てダラスに赴任する訳ですが、学生時代特に優れていた英会話の力はアメリカ各地を廻っている間に、ますます磨きがかかり、誠実にして積極的な手腕家として取引先から絶大なる信用を得るに至ったといわれています。日本人として初めてロータリアンに推薦されたのも、その語学力と人間性を高く評価されたからでありましよう。
1905年ロータリークラブに出会ってダラスRCに入会し、1920年まで在籍しています。1920年に帰国し、東京RC創立会員になったものの、大阪転勤により1923年、大阪 RC創立会員にもなりました。同年に関東大震災が発生した時は、彼はクラブ幹事として 世界中の各クラブから集まった義援金や救援物資を東京へ輸送するなど大活躍しました。大変誠実な人として知られ、日本のロータリーの誕生から揺籃期(ようらんき)にかけて定着・発展の基礎を築き1946年9月に 亡くなりました。1998年に有田RCから『福島喜三次伝:日本人として初のロータリアン』が出版されています。有田町の生家跡には「福島喜三次氏生誕之地」と書かれた大理石の石柱が現在もあるそうです。なお、名前は「きそじ」「きそうじ」という読み方もあるようですが、遺族の方は「きさじ」 が正しいと言っておられるとのことです。日本でニ番目にできたロータリークラブは大坂R・Cであります。
福島 喜三次は東京R・Cの例会に3回出席しただけで三井物産の大坂支店に転勤となりましたが、そこで星野氏と出会い、ロータリーについて語り合う機会を持ちました。星野がどんな仕事をしていた人物か手元に資料不足で 調べがつきませんが、とにもかくにもロータリーについて大変興味を持って、1921年〈大正10年〉
アメリカ訪問実業団の1員となって渡米した際、シカゴの国際ロータリー事務局を訪れ後のRI事務総長チュスレイ・べリーに会ってロータリーに関する話を聞き、大阪にクラブをつくることを委任されたということであります。星野は、福島喜三次の協力を得て 1922 年 11 月に中之島の 大阪ホテルで 10 名による準備会を開き、その月の 17 日には 25 名を集めて 創立総会という急ピッチで行い、大阪 R ・ C が誕生したそうです。今でも存在する事でありますが、関東の実業人 と、関西方の実業人の気質に相違があって、東京 R ・ C はエリート型、大坂 R ・ C は庶民型といったものがあったといわれております。以上の様に福島喜三次は大阪関西でのロータリーを発展させた人物で、米山梅吉は東京のロータリー創始者、2人とも日本のロータリーに貢献された方々です。
これで本日の会長挨拶とさせていただきます。
有難うございました。